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十和田市の開拓史

現在の十和田市は、上北地域最大の都市となっているが、かつては火山灰の土壌で水利に乏しく、八甲田おろしの強い風を遮る林もなく、広大で荒涼とした原野であった。この台地上の三本木村は南部藩七戸代官所の支配する所であり、奥州街道が南北に縦貫していて七戸の宿駅と五戸の宿駅のほぼ中間に位置していた。

十和田の開拓史

1700年代中頃の三本木村は台地の中央部のやや低地部の元村という所に50数戸の人が住み、石高も51石余しかない寒村であったが、さらに天明の大飢饉(1783年)で戸数は半減し享和3年(1803年)には26戸までに減少している。

安政2年(1855年)、不毛の原野であった三本木原の大地に奥入瀬川上流から10数キロにわたって2本の穴堰及び用水路を掘削、築造し水を引くことから始まった三本木原開拓は、その後昭和初期の三本木国営開墾事業などを経て今日の十和田市の繁栄のもととなった地域開発事業である。

十和田の開拓史

新渡戸父祖三代を中心として推進されたこの開拓事業は、上水工事の規模の大きさ、工事速度の速さ、死亡事故なしという周到な安全対策等その当時の我が国の土木技術水準からみて注目に値するものであった。

しかしそれ以上に特筆すべきは、この開拓が水を引き田畑を開いて終わりという素朴な新田開発事業で終わりとするだけでなく、万延元年(1860年)以降、新渡戸十次郎により開発地域の中央部に12町四方の碁盤の目状の町割りを持つ拠点都市を計画的に造成しそこに多種の2次・3次産業をおこしながら、幅広く人々の定住を進めて行くという計画性に富んだ地域開発へと展開した点である。

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